佐賀県議会 2022-06-23 令和4年総務常任委員会 本文 開催日:2022年06月23日
一方で、昨日の視察の際にも委員からおっしゃられましたけれども、あの場所はかつては藩校の弘道館の一部であり、佐賀市役所があったところで、昔から重要な場所でした。さらに、今でも佐賀市の中心商店街と佐賀城公園のエリア、文化芸術のエリアでもありますけれども、そこのちょうど境目となるような、結節点といいますか、重要な場所になっております。 そういう中で、御存じのように、県では「歩こう。
一方で、昨日の視察の際にも委員からおっしゃられましたけれども、あの場所はかつては藩校の弘道館の一部であり、佐賀市役所があったところで、昔から重要な場所でした。さらに、今でも佐賀市の中心商店街と佐賀城公園のエリア、文化芸術のエリアでもありますけれども、そこのちょうど境目となるような、結節点といいますか、重要な場所になっております。 そういう中で、御存じのように、県では「歩こう。
二項目めは「弘道館2」についてであります。 かねてより、県の広報や新聞でこの「弘道館2」のことは注目しており、資料を集めたファイルも持っていました。先月の二月六日に大人の弘道館2「仕事と子育てに効く大隈重信学」に初めて参加しようと思い立ち、先着順とされたリアル視聴者八名の中の一人として難関を突破しました。
また、「肥前さが幕末維新博覧会」も、幕末維新記念館、リアル弘道館、葉隠みらい館、唐津サテライト館、鳥栖サテライト館などの会場を分散化し、各地域でのイベント開催など、市町の取組を後押ししながらの開催により、すばらしい成果を上げた事業だったと思います。 このような地域の資源を磨き上げ、観光誘客につなげる事業の一つとして、現在取り組まれているのが唐津・玄海プロジェクトだと私は理解しております。
幕末期の佐賀では、鍋島直正公──閑叟公が教育に力を入れられ、藩校弘道館で学んだ生徒たちは全国の優秀な生徒が集まる江戸の学問所、この学問所、言わば東大法学部でしょうかね。当時、全国六十余州の中で佐賀藩から四十名、そしてそのほかに鹿島藩、小城藩といったところからこの昌平坂の学問所に佐賀からも勉学に励んだというふうに残っております。これは県が発行しておりました古賀穀堂さんの本に書いてありました。
また、地域づくりは人づくりであり、自発の地域づくりを担う人材を生み出していきたい、SSP構想の理念であるスポーツ・文化の力を生かした人づくりの好循環をより大きくしていきたい、弘道館など人づくりで名をはせた教育県佐賀として子供たちをさらに骨太に育てていきたい、こうした思いをより強くしました。時代の変革期である今だからこそ、人に投資していくことが必要と考えています。
…三二四 池田農林水産部長……………………………………………………………………………三二五 平尾県土整備部長……………………………………………………………………………三二七 落合教育長……………………………………………………………………………………三二七 弘川貴紀君(自由民主党・一回目)………………………………………………………三二八 (移住促進328 弘道館
この場所は、かつて幕末・維新期に優秀な人材を輩出した佐賀藩校の弘道館が所在していた場所で、佐賀市の中心市街地と佐賀城公園や多数の文化芸術施設がある城内エリアとの結節点となっていた場所だったと。
次に、弘道館の商標権無効審判の審決について申し上げます。 佐賀藩の藩校である弘道館の名称を個人が商標登録していたことに関し、佐賀県は特許庁に対し無効審判を請求しておりました。審理の結果、県の主張が認められ、一私人が独占的に使用することは、社会公共の利益に反するとして、登録を無効とする審決が今月十一日に確定しています。
当地は、かつて幕末・維新期に優秀な人材を輩出した佐賀藩校弘道館が所在しており、県都佐賀市の中心市街地と佐賀城公園や多数の文化芸術施設が所在する城内エリアとの結節点として、県の顔になってもらいたい場所に立地しております。
渋沢栄一は、後に江戸幕府第15代将軍になる徳川慶喜に仕官し、頭角をあらわすことになりますが、徳川慶喜は、幼年期に弘道館で水戸学を学んでおり、主人公に影響を与える重要人物であります。 そもそも、水戸学は、藤田幽谷、その子藤田東湖や会沢正志斎により体系化された幕末の内憂外患という国家的危機をいかに克服するのかという視点に立った学問であります。
さらに、できなくなったということだけではありませんで、例えば、「弘道館2」というものをやっておりますけれども、これはオンラインにより実施するということで、リモートですとかオンラインによる見直しというものに変更したものがございます。 このように様々な影響が発生しているところでございます。
また、幕末維新期に優秀な人材を輩出いたしました佐賀藩校である弘道館が建っていた場所でありますとともに、県立図書館や博物館・美術館、佐賀城本丸歴史館など文化施設が集まる城内エリアにも接している趣深い場所でございます。今後は、隣接地にNHK新佐賀放送会館が建設されることもありまして、城内エリアと佐賀市中心部との結節点として県の顔にもなってもらいたい貴重な場所であると認識しております。」
ゲーム感覚でやってステージがアップしていく、ドラクエのように、あれ、いつの間にか成績が上がってきたというような使い方もあるのかもしれないし、我々「弘道館2」というのをやっていますけれども、何か志を持ってこんな大人になりたいなというのがウェブでそこから広がっていったりとか、夢は広がるばかりなんでありまして、私も単にコロナ禍の休校下にスムーズな授業を行うということではなくて、むしろこれから教育委員会の皆
それでも、この頃の幕末維新博ではないんですけれども、かつて教育県佐賀とまでうたわれた本県の弘道館、致遠館、好生館以来、百五十年にわたって、戦後ちょっとぐらいまでよかったんで百年ぐらいの間ですかね、教育県佐賀としての本県教育の歴史に思いを致せば、現在のこの惨状とも言える状態は県政の最重要課題の一つと言っても過言ではありません。
また、幕末維新期に優秀な人材を輩出いたしました佐賀藩校である弘道館が建っていた場所でありますとともに、県立図書館や博物館・美術館、佐賀城本丸歴史館など文化施設が集まる城内エリアにも接している趣深い場所でございます。 今後は、隣接地にNHK新佐賀放送会館が建設されることもありまして、城内エリアと佐賀市中心部との結節点として県の顔にもなってもらいたい貴重な場所であると認識しております。
また、子供たちが文化、芸術に直接触れて学びのきっかけをつくる初めての学び応援事業とか、若者の夢のきっかけをつくるために実施しております「弘道館2」、そういった取り組みも進めております。
これまでも土木企業委員会で御議論いただいたことになりますが,偕楽園が観光周遊拠点となるように魅力向上を図るということで,偕楽園及び弘道館について,偕楽園の有料化,それから弘道館の料金の改定を考えております。この改定なり有料化した収入を使いまして,歴史的景観の復元とか,さらなる魅力向上について取り組んでまいりたいと思います。 詳細は,また後ほど御説明します。 以上が資料1です。
鍋島直正公は、人こそが藩を、ひいては国を強くするという考えのもと、藩校弘道館にみずから月一回足を運び、会読に加わったり、生徒たちと討論するなど、その人材育成にかける強い思いを生徒や教師に示したそうであります。 また、弘道館の教育は、知識の集積よりも判断力、あるいはしゃべる論理を身につけさせることに重点が置かれていたということでありまして、その方針に非常に共感をするものであります。
以前も一般質問で出したことがございますけれども、弘道館の教授で、佐賀藩の藩主直正を初め、多くの賢人たちを育てた人であります。 直正幼少のころ、一八三〇年、時は天保年間、藩校弘道館の初等科といたしましょう。当時、地方でも私塾や寺子屋がありました。